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コーヒー豆と政治家

コーヒー豆と政治家

普段から慣れ親しんで美味しく飲んでいるコーヒー。一方で、本来とても大事なはずなのに、つい関心が薄れてしまいがちな政治。この全く共通点の無さそうな2つを、個人的な「関心」で照らし合わせながら考えてみました。

目次

コーヒー豆への関心

コーヒー好きですか?
ラテやモカなど、ブラックじゃないくてもいいです。

僕はもう毎日のように飲んでいて、無かったら結構寂しくなるぐらいには好きです。これが徐々にエスカレートしていて、最近は豆だけを買ってきて挽くところから淹れるのが習慣になりました。

きっかけは突然で、ふと「コーヒー豆の違いってなんだろう?」と思ったところから。スタバで「本日のコーヒー」て、あるじゃないですか。毎日違う豆で、季節によっても限定の豆が出てきたりして。

それこそ毎日のように「本日のコーヒー、ショートで!!」と注文していた自分ですが、豆の違いが本当わからない。最寄りのスタバへ、もはや年単位で通っているにも関わらず分からない。挙句の果てにはパートナーさんに「え、分からないんですか!?」と言われる始末。これは由々しき事態だということで、豆の違いぐらいは分かるようになりたいと思ったのでした。

自分で豆を挽くようになってからは徐々に違いも分かってきました。まぁ、本当にわずかですが。

それでもコーヒーは大好きで、どうせなら違いが分かるようになって、「今日はこの豆の気分だな」みたいに選べるようになったら楽しそう。とか想像して、今日もヤカンでお湯を沸かしながら豆を挽きます。

このように、大好きなコーヒーのことは時間が掛かってでも「もっと知りたい」と自然に思えるわけです。僕の場合はコーヒーですが、これが紅茶だったり、はたまたウイスキーやワインだったり、その人によってそれぞれが「もっと知りたい」というものがあるのではないでしょうか。

政治家への関心

一方、政治はいかがでしょうか。政治、興味ありますか?誰でも良いので、自民党の議員を6名以上挙げられますか?

僕は意識して関心を持つようにしてはいるものの、「好きだから」という好奇心とは全く違います。あくまで自分たちの生活に関わることなので、無関心はいけないというある種の義務感。

いま話題になっている稲田防衛大臣。発言は事実と矛盾してすぐにひっくり返ったり、各所で欠点をダメ出しされたりしています。どこかのニュース番組でキャスターが「防衛大臣なのに自己防衛できていない」と発言したのは上手いと思いました。

「森友学園」の騒動が発端で標的となった稲田防衛大臣ですが、今になれば「どうしてこんな人が防衛大臣なの?」という疑問を持つ方は多いはず。でも、今回標的になり各所で取り上げられてはじめて(やっと)気づくことが出来たわけです。つまり、私たちの知らない同様の事例ってゴロゴロしているんだろうな…。そう思いませんか?

今回の稲田防衛大臣の件で僕が気がついたのは、政治に対する無関心こそが、そもそもの諸悪の根源だということ。政治家の人もきっとそれを知っているから、私たちの気がつきにくい日の当たらない場所で駒を進めることができてしまう。

正直、僕が政治に興味を持ったのは社会人になってからです。それまでは全くどうでもよかった。生活と政治が繋がっている実感はなかったし、内容は退屈だし、選挙カーはうるさいし。

選挙の投票へは一応足を運んでいましたが、何か根拠があって特定の誰かを選んでいるわけでも無かったように思います。身も蓋もないことをいうと、「誰が選ばれても同じだろ」と諦めに近い部分もありました。

その時と比べてみると今はいくらかマシになったものの、やはり一種の仕事のような「意識しておかないと」という気持ちでなんとかアンテナを張っている状況です。

自然に持つ「関心」と、義務感の「関心」の違い

僕にとっての「コーヒー豆」と「政治家」は、関心の種類が明確に違います。

知りたいから自ずと強くなっていく関心と、見張っていないとひどい事になるという危機感、そして国民としての義務感から意識的に作っている「関心」。この2つの違い、イメージして頂けるでしょうか。

最近議論になることの多い「築地市場移転問題」とか「森友学園」のことをみると、過去の私たちの政治への無関心が現状へと繋がってきているのではないか、と思うのです。「この人が指示を出したから、この人が悪い」みたいな特定も必要かもしれませんが、そもそもその人を選んだのは誰だ、と。

しっかりその時の政治に向き合い、考え、判断をされている方も多いと思います。なので、「自分は最初から、この人は選んでいない」と言うことも可能です。でも政治って一人の意見で決まるわけじゃないし、それを言っても何も始まらない。だから自分から関心を持って、その意見を周りにも発信していくことって重要なんじゃないかな。もっとカジュアルに政治の話しができる雰囲気や場があってもいいかもしれませんね。

昨年の都知事選の時、僕は「ポリタス」と出会いました。「これこれ!」と、ちょっと嬉しくなったのは今でも覚えています。取っつきやすいビジュアル、しっかり中身のある記事。

政治のその時々の形は当然全てが自分の責任というわけではないけど、決して他人のせいでもない。自分から向き合えば、もしかしたら周りに波紋が広がる可能性もある。昨今の状況を見て、政治はちゃんと先を見据え、想像しながら向き合っていこう。そう思うのでした。

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