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退院してから1年が経過して、改めて感じること
2016年4月、脇腹の痛みと検査で突如発覚した「結核」により急遽入院しました。今回はそれから1年以上が経過した現在、入院中に考えたことを思い出しながら改めて感じることについて。
隔離病棟という閉鎖空間
楽しいGWを過ごせましたか?
僕は新潟へ日帰り旅行した以外は、映画や本読んだりとインドアな生活を送っていました。
そして仕事も。
ふと思い出しましたが、結核で入院してから1年が経過しました。
発症した当時のことは「結核を発症したお話し」を読んでみてください。
1年はあっという間。
経過は順調で、その後は特に何もなく普通に生活することができています。
それでも結核は2年間は通院しなければならず、半年に1回というペースで病院へ足を運んでいます。
去年の4月15日に入院し、GW直前までは隔離病棟でした。
もちろん外に出ることはできず、むしろ自分のいる病棟から出ることも禁止。
かなり息の詰まる環境です。
自分の場合は排菌(周りに菌を撒き散らさないこと)していなかったので、幸いにも2週間後のGW直前に退院することができました。
長い人は半年いる方もいるようで、かなり短い入院期間で済んだことは今でも本当に良かったと思います。
こういうことがないと中々実感しづらいですが、やっぱ健康が一番ですね。
入院当時のことは今思い返しても、とにかく退屈で息苦しかったな…という記憶しかありません。
看護師さんも、たまに面会に来てくれた人もマスクしているから心理的な距離を感じるし、外の空気は吸えないしで相当に参ってました。
ご飯が美味しくなかったのも原因かも。
それでも不幸中の幸いだったのは、自分の仕事柄、パソコンとネットが繋がれば一応仕事ができたこと。
病院にWiFiが飛んでいるわけはなく、携帯のテザリングのみで乗り切りました。
結構すぐに速度制限がかかってしまったので、5回ぐらい1GBの通信パケットを購入したっけ。
それでも仕事が出来ていたことは安心感がありました。
仕事以外はすることがなく、ひたすらKindleで電子書籍を読んでいました。
おかげで買い溜めしていた本が一気に消化できた。
中でも面白かったのは池井戸潤さんの「空飛ぶタイヤ」。
基本的には自分の個室から出ることはありません。
外にも出れない。
当然、買い物もできないしもう相当に暇。
この時に痛感したのは、ふと思い立って電車に乗って都内に行ったり、車でドライブしたりで行きたい場所に移動できることの自由への尊さでした。
「尊さ」とか大げさに感じるかもしれませんが、自由に移動できない状態になってみると身に染みる。
普段インドアな自分ですら、「自分が行きたい場所に、時間を選んで足を運ぶことができるって最高」なんて病室の窓から外を見て考えていたわけです。
それぐらいに「自由に移動できる」って大事。
自分はその時の想いが今もまだ残っているので、退院した今は家を出る度にある種の爽快感があります。
特に晴れた日とか最高。
飛行機乗って旅行とか、何ものにも変えがたい贅沢。
外に出ることに自由を感じることができるようになったのは、入院したからこそ気づくことができた面もある。
なので、入院生活も全てがマイナスだったわけではなさそうです。
毎日行きつけのスタバに行くことだってできるし、電車に乗れば都内にも出れる。
知らないお店に入って美味しいご飯食べられるし、映画館、ミュージカル、ライブ観たりもできる。
パスポートがあれば日本からも出れる。
きっと皆んなにとっては「そんなの普通じゃん」という感じだと思うけど、この当たり前の日常が自分にとっては「自由」を感じることのできる大切な日々の活動になっています。
病気にはならないに越したことはないけど、機会がなかったら今の感情はないし、この記事も書くことが無かったはず。
ということで、僕はこれからも健康でいたいと思いながら、行きたい場所にいけることに喜びや幸せを感じつつ、色々な場所に行ってみたいと思います。
今年の目標は「日本の都道府県を全て周る」。
旅先のことはレポートの形でまた改めて報告します。
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