本書を手に取ったきっかけ
前著「リスクと生きる、死者と生きる」やNewsweekの「沖縄ラプソディ」など、以前から著者の手掛けた文章を読んでいました。
(「リスクと生きる、死者と生きる」を読んだときの感想文はこちら)
著者の文章を読むたびに、足を使った緻密な取材と、丁寧に物事を伝えようとする文章に非常に惹かれるものがありました。
そんな著者が、自分が毎日触れている「ニュース」の未来について1冊の本を書かれたということで興味を持ちましたが、実はタイトルを初めて見たときの印象は必ずしも前向きなものではありませんでした。
その理由は、日々の中で目にするニュースが意図的に読む人の感情や印象を無駄に煽る内容だったり、著名人のSNSの更新情報、結婚、発言などの「これはニュースなの?」みたいなものが多いように感じていたからです。
結果を先に言うと、本書を読み通すことで消極的な印象は見事に払拭されました。
「良いニュース」とニュースの現状
本書ではまず、そもそも「良いニュース」はどんなものか、定義から始まって作成する手法、ニュースの基本型について具体例を挙げた解説から始まります。
続いて、自身の経験から新聞社、インターネットメディア、出版社で掲載するニュースの特徴も挙げられています。
特にインターネットメディアは速報性(フロー)と、情報空間に残る(ストック)という性質があり、後者の空間に残ることで時間を超えて中身を読んでもらえる性質こそ、著者が可能性を感じていることから、著者自身のニュースを作るスタンスを強く感じます。
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(余談)
ニュースの基本型の1つである「物語」を読んで、たまたま最近読んだ塩田武士さんの「罪の声」というグリコ森永事件をモチーフにした小説を思い出しました。
こちらは小説のため登場する社名も実名ではないなど創作にはなりますが、実際に起きた事件を関係する人々の視点から描き、読み手に伝えるという点では「良いニュース」に当てはまるのかも…と思いました。
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一方で現状については、多くの人に読まれ、広告費を稼ぐことができる理由から、前者の「速報性」が重視されることが多く、「今」を超えて読まれる記事よりも強い存在になっている。
その結果、時間に耐える強さを持つ記事よりも、多くの人を刺激する記事が溢れている。
このような状況から、少しでも「良いニュース」を増やしていくための著者の挑戦が、実際の仕事を通して語られていきます。
その中から、1つひとつのニュース(記事、ルポ)を作る姿勢、手間、読み手からの反応から得る手応えなど、じっとりと伝わってくるものがあり、自分がいつも何気なく触れていたニュースの裏側を垣間見た気がします。
著者は本書の終盤で、現在のフェイクニュースが拡散されてしまい、良いニュースが生まれにくい構造についての考察として、「あいまいな情報に耐える力」の必要性をあげてます。
理想は社会全体がこの力を付けることですが、まずはニュースの発信者(ライター、編集者、映像制作に携わる方々など)から身に着けるべきとされています。
僕自身はニュースを受け取る側にいますが、速報ではないニュースについてはじっくり咀嚼して考える、それこそ「あいまいな情報に耐える力」を鍛えていくことを意識していこうと思います。
素晴らしい本は新しい本への繋がりを示してくれますが、本書もまたそうでした。
- ガブリエル・ガルシア=マルケス「幸福な無名時代」
- ボブ・ウッドワード「大統領の陰謀」
- 加藤秀俊「取材学」
- サイモン・シン「フェルマーの最終定理」「暗号解読(上下)」
- 沢木耕太郎「一瞬の夏」
- ゲイ・タリーズ「汝の父を敬え(上下)」「名もなき人々の街」、「ザ・ブリッジ」、「有名と無名」
- マシュー・ハインドマン「デジタルエコノミーの罠」
- 本田靖春「誘拐」「不当逮捕」
- 山際淳司「江夏の21球」
- ジョン・ル・カレ「スマイリー三部作」「地下道の鳩」
- 石戸諭「ルポ 百田尚樹現象」